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建設工事を行う大手建設会社は財閥系のことも!なぜ財閥解体は行われたのか?

2020.07.07
分類:その他

日本経済を動かす力となっていた財閥ですが、それは第二次世界大戦までの話です。特に有名なのは三菱・三井・住友・安田の四大財閥ですが、太平洋戦争後にはGHQにより解体されることとなりました。

大手建設関係の会社でも、この財閥系と呼ばれる法人はありますが、戦後に財閥解体が行われた理由は何なのか、財閥の歴史や流れについてご紹介します。

財閥の歴史

財閥とは同族により出資・支配される法人のグループを指しており、持株会社を中核にいろいろな分野に事業進出していました。

特に歴史が古いのは1590年からので住友財閥で、三井財閥も江戸時代までに事業を開始しています。住友財閥と三井財閥に安田・三菱が加わり、四大財閥と呼ばれるようになりました。

しかし戦後に財閥解体となったのは、財閥の力が国家権力に及び軍国主義に加勢したと考えられたからです。

 

財閥解体までの流れ

財閥解体は1945922日、アメリカ政府により発表された「降伏後における米国の初期の対日方針」の中に記載があります。

財閥解体こそが日本の軍国主義を撲滅させると考えらえたようで、日本政府と4財閥、そしてGHQが協議を行い、財閥解体にむけて行動を行うこととなりました。

主な内容は、持株会社所有の有価証券を日本政府機関に移管し、産業界から財閥の構成員を追放するというものです。

持株会社は傘下企業に指令を出したり管理を行ったりすることは禁止となり、コンツェルンとしての財閥は消滅させることとなったのです。19451123日、いよいよ財閥解体がはじまり現在に至ります。

 

財閥解体によるメリットはあったのか

財閥解体により、新興企業ではそれまで参入することが難しいとされた分野に進出できるようになりました。結果として経済が発展できたのは、財閥解体の大きなメリットといえます。

財閥解体だけでなく、1947年の独占禁止法と過度経済力集中排除法にも注目です。独占禁止法によって、持株会社は禁止となりコンツェルンタイプの財閥を作ることはできなくなりました。

そして過度経済力集中排除法により巨大独占企業は分割されました。これらの流れにより、一旦は財閥ではなくなりました

しかし占領が解放された後は、バラバラになった財閥系企業が再度結集しはじめ、三菱グループ・住友グループ・三井グループなどグループ企業が存在するようになったのです。

中には複数のグループに属する企業もあり、それぞれのグループは企業同士が株式を保有しあうなど、従来までの財閥とは異なるつながりを形成しています。