大正時代や昭和時代の建築は、平成時代や令和時代のものとは違った特徴や様式となっています。
激動の時代として記録された15年間という短い期間の大正時代と、日本の高度成長期を代表する昭和時代でも、今と同じように建設工事現場では専門の技術や知識を持った技術者が様々な建築物を完成させました。
特に昭和時代は、鉄筋コンクリート造や鉄骨造など、工法や技術だけでなく材料も大きく変化を見せた時代です。
約15年間というとても短い期間で終わった大正時代は、文明や文化が大きく飛躍したときでもあります。
主要都市が発達し、経済拡張に伴って都市・大衆文化が着目された大正モダンなど、当時の文化を象徴する言葉も生まれています。
大正モダンの始まりは東洋一の港だった神戸港で、最新の欧米文化が富裕層に受け入れられるようになり、その文化や芸術、生活様式などが広まりました。
大正中期になると生活に洋風を取り入れる文化住宅なども、一般向けに多く建設されるようになりましたが、東京は大正12年に発生した関東大震災で甚大な損害を受けてしまいました。
その復興計画で東京の街は道路整備や区画整理などが実施され、電気や水道などのインフラ整備なども進み、近代都市に大変革を遂げたといえます。
経済成長とともに文化や技術が進歩し、住宅・自動車・家電製品・身の回りのモノなどは機能性とデザインが求められるようになりました。
建築や住宅などは第二次世界大戦の戦争の影響で起きた問題を解消しようと、日本住宅公団による大都市近郊にニュータウンの建設なども始まりましたが、現在はその昭和時代に建設されたニュータウンが空き家になるといった問題も起きています。
大正時代を象徴する建築物として挙げられるのは、何といっても東京駅です。東京駅は建築家である辰野金吾氏の設計により、大正3年に竣工しました。
しかし戦災で一部が焼失しており、当時の駅舎は3階建てでしたが応急的な対応で2階建てになり、昭和時代に入ってからも60年間そのまま維持されてきたとされています。
そして2007年頃には、2階建てから当時の3階建てへと戻す工事が約5年半かけて行われ、現在は創建当時の姿に復元されています。
その東京駅は、2014年には100周年を迎え、今も当時の趣を感じさせる建築物として多くの方に親しまれているといえます。