現在の物流環境と昭和時代では大きな違いがありますが、戦後である1950年代はどのような状況だったのでしょう。
そこで、物流の歴史を知る上での昭和時代と現在の物流環境の違いについてご説明します。
1950年代頃は、大量生産・大量消費が基本としており、商品を大量に作ることが多く行われていました。そのため物流でも小規模では対応できず、従来とは違った対応が求められるようになったといえます。
1965年頃になると本格的に物流を改善させようと、道路や港湾の整備や各地に物流拠点などを設けるといったことが実施されました。
もともと1950年頃まで地方などの道路は舗装されていなかったため、モノの運搬も人力に依存した形だったのです。荷物を守るためには悪路の影響も考え、厳重な梱包が必要であるなどコストも多く発生していました。
そこで、アメリカの物流体制を日本にも取り入れようと政府が乗り出し、各地に物流拠点が設けられます。オリンピックや万博開催などに向けた道路の開発も進んだことで、物流環境は急激に整備されていったといえるでしょう。
産業がバブル崩壊まで発展していったこともあり、物流量もそれに伴い右肩上がりといった状態が続いたといえます。
現在、トラックドライバーの高齢化が進んでいることが問題視されています。トラック業界で働く約4割は50歳以上という状況で、大型トラックの高齢化は特に著しい状態です。
今後、中高年層が大量にリタイアを迎えたとき、物流網ははたして維持できるのでしょうか。そのような問題を考えれば、昭和の時代から取り残されたといえる物流業界特有の慣習はなくし、情報技術で物流リソースを効率化させるという動きも必要となってきます。
その問題を解決しようと、現在取り入れられるようになったのがスマートフォンを使ったサービスや、ドライバーと荷主をつなぐマッチングサイトなどです。
物流業界は元請けから下請け、下請けから孫請けというピラミッド型の下請構造となっています。これは荷主にとって弊害であるともいえますが、なぜなら昔ながらの電話という古い通信手段を使わなければならないからです。
たとえば1台の車を捕まえようとすると、最低でも電話は30本飛び交う状態ともいわれています。
しかし仮にドライバーがスマホにマッチングアプリを入れておけば、新しく依頼があったとき画面に通知されすぐに目的地などを確認し受注できるでしょう。
空き時間ができたドライバーなどが、スマホで仕事を受けることも可能であり、荷主とドライバーが直接つながるため依頼から数分で応答を届けることができます。
人材不足が叫ばれる物流・運送業界にとって、このような情報技術を使った仕事の受発注の構造は今後も重要となってくるでしょう。